" /> ラーゲリより愛を込めてモデルや実話はどこまで?原作のあらすじをネタバレ解説! | あれやこれや・みさいと
PR

ラーゲリより愛を込めてモデルや実話はどこまで?原作のあらすじをネタバレ解説!

ラーゲリより愛を込めて実話のモデルは誰?原作のあらすじをネタバレ解説! トレンド

二宮和也さん主演の映画『ラーゲリより愛を込めて』が、2022年12月に公開されました。

この『ラーゲリより愛を込めて』の原作には、なんと実話のモデルがいてるとか!?

そこで気になる物語のあらすじや、実話モデルをネタバレ覚悟で調査してみました。

一体どんなストーリーで描かれるのか、原作のあらすじをネタバレ紹介したいと思います。

 

ラーゲリより愛を込めて実話のモデルは誰?

1989年に出版された『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』が、『ラーゲリより愛を込めて』と題して2022年12月9日に映画が公開されました。

『辺見じゅん』さん原作のノンフィクションで、第11回講談社ノンフィクション賞、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

1993年にはフジテレビ系で終戦48年特別企画としてドラマ化され、放送文化基金賞番組部門本賞も受賞してます。

そんな数々の賞を受賞してきた素晴らしい作品を、監督『瀬々敬久』さんが映画化。

作品は第二次世界大戦後、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)で亡くなった『山本幡男』さんの遺書が元となります。

ではモデルとなった『山本幡男』さんとは、どのような人物なのかご紹介しましょう。

 

ラーゲリより愛を込めてのモデル・山本幡男のプロフィール

映画ラーゲリより愛を込めての『山本幡男』さん役は、演技力に定評ある嵐の二宮和也さん。

こちらが山本幡男さんの、簡単なプロフィールになります。

名前:山本幡男(やまもとはたお)

生年月日:1908年9月10日

出身地:島根県隠岐郡西ノ島町

出身校:東京外国語学校(中退)

死没日: 1954年8月25日(享年45歳)

ロシア語に長けていた山本幡男さんは、2等兵としてハルビン特務機関に配属されてました。

しかし第二次世界大戦で日本が降伏した後、当時のソ連に抑留され厳冬のシベリア強制収容所へ。

ちなみに強制収容所のことを、当時のソ連がキャンプや合宿の意味がある『ラーゲリ』と呼んでいたそうです。

零下40度を超えるシベリアに抑留された日本人は、山本幡男さん含め60万人を超えたとか…。

厳冬の地で強制労働を強いられる中、生きる希望を失い帰国できずに亡くなった方もいました。

そんなラーゲリでの過酷で辛い日々に、仲間の捕虜達を明るく励まし続けたのが山本幡男さんです。

みんなの精神的な支えとなってた山本幡男さんは、多くの仲間から慕われていた人物。

では山本幡男さんがモデルとなった、映画『ラーゲリより愛を込めて』のあらすじを紹介!

 

映画ラーゲリより愛を込めてのあらすじ

第二次世界大戦後の1945年、マイナス40度の厳冬のシベリア強制収容所(ラーゲリ)。

毎日が過酷な労働とわずかな食料で、亡くなっていく者も続出する場所に山本幡男は居た。

生きる希望を捨ててはいけません。帰国(ダモイ)の日は必ずやって来ます。

山本幡男は多くの絶望する捕虜達に訴え続け、劣悪な環境でも分け隔てなく励まし続ける。

次第に凍り付いていた日本人捕虜達の心を、山本幡男の仲間を思う行動と信念が溶かしていく。

そんな山本幡男も、日本に残した妻と4人の子供達との再会を信じていたー。

終戦から8年後、厳しい検閲をくぐり抜け「あなたの帰りを待っています」と書かれた、妻からの葉書が山本幡男の元に届く。

妻を想い涙を流す山本幡男、しかしその頃には体は病魔に侵されていた…。

こちらは映画の予告動画になります。

※『ラーゲリより愛を込めて』は日本アカデミー賞2023で、優秀男優賞と優秀美術賞に選出されました!

 

原作のあらすじからネタバレ解説!

辺見じゅんさん原作の『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』は、山本幡男さんの生きた証が詰まった一冊。

日本が戦争に負けた後、旧ソ連に捕虜として囚われた日本人は60万人とも言われてます。

その捕虜の中には在学中にロシア語を学んでた、山本幡男さんの姿もありました。

皮肉なことにロシア語を勉強し堪能だった結果、その地で辛い日々を送ることになるとは…。

原作の中にはラーゲリでの劣悪な環境や、不当な容疑で捕虜となった日本人達が描かれてます。

そこではここから先は、ネタバレ含めて解説していきましょう!

 

ラーゲリより愛を込めての原作ネタバレ解説!

山本幡男さんは妻のモミジさんと、4人の子供達と幸せに暮らしてました。

しかし戦後にスパイとして、旧ソ連の捕虜になり山本幡男さんの人生が一変します。

地獄と呼ばれたマイナス40度の厳冬の地で、いつ帰国できるのかも分らぬまま過ごす日々。

同じ日本人捕虜達の間でも、空腹と寒さのせいで争いや自死が絶えませんでした。

そんな状況下で山本幡男さんは、万葉集や仏教を題材にした日本文化の勉強会を開き仲間を激励。

わかりやすくユニークな話術で、一同を楽しませ帰国への希望を持たせました。

 

帰国(ダモイ)目前に…

ついに帰国(ダモイ)出来ることとなり、山本幡男さん含め1000人ほどが列車に乗車。

しかし列車は突然旧ソ連兵に止められ、ハバロフスク市の強制労働収容所(ラーゲリ)へ入れられます。

そこでロシア語ができた山本幡男さんは、スパイ容疑で厳しい拷問やリンチを受け帰国(ダモイ)の夢が消えました。

さすがの山本幡男さんも絶望を味わい、この時は心が折れたと言われてます。

 

戦犯となった後も希望の灯火を…

捕虜から戦犯となった山本幡男さんを含めた人達は、日本への引揚げが打ち切り。

しかし山本幡男さんは日本語を忘れないよう、また自分や仲間を励まし支えるため短歌や俳句を詠います。

やがて句を詠む仲間は増えていき、句会『アムール会』が結成されました。

日本語を書く事は禁止なので、地面に句を書いては消すのが過酷な労働の合間の楽しみに。

しかしある日突然、その楽しみは奪われていきます。

 

アムール会の解散と体調の異変…

1952年に数名が脱走を試み、収容所(ラーゲリ)の監視体制が強化されてしまいました。

それまで可能だった文化活動や同好会の禁止、そしてアムール会の解散が命じられることに。

しかし収容所(ラーゲリ)の片隅に集い、密かに句会は催されていました。

ちなみに句会は収容者の最後が帰国する船内まで、ずっと開催されていたそうです。

元々病弱だった山本幡男さんは1953年、喉の痛みを訴え収容所内の病院へ入院。

まともな治療を受けられるはずもなく、劣悪な環境と栄養失調で病状は進行していきました。

翌年にやっと設備の整った病院へ転院、だけど既に手遅れだと収容所(ラーゲリ)へ戻されます。

病名は『喉頭癌性肉腫』で、ガンの進行は末期という状態だった。

 

アムール句会の6名が繋いだ遺書…

回復が絶望的な山本幡男さんを見て、句会の仲間達は家族への遺書を勧めることに。

すると激痛で寝返りも打てない程なのに、ノート15ページ分の約4500字もの遺書を1日で書き上げていました。

遺書の中身は「本文」「母」「妻」「子供達」宛てに書かれた計4通。

最後の力を振り絞り長文を書いた山本幡男さんに、仲間達はとてつもない執念を感じたとか。

この翌月に誰に看取られることなく、山本幡男さんは45歳という若さで亡くなりました。

それから仲間6人で遺書を分担し、バレないように隠れながら必死で丸暗記する毎日。

もしも禁止されてる日本語の遺書が見つかれば、罰則が与えられてしまいます。

6人は遺書の一語一句をそのまま暗記し、山本幡男さんの遺族へ伝えることを新しい目標にしました。

そして山本幡男さんの死から2年が過ぎた頃、終戦から11年目に拘留されてた人達の帰国(ダモイ)が実現!

なんと妻モミジさんの元に、6名それぞれから遺書が届けられたそうです。

これほど壮絶な出来事が、本当にあったなんて現代の私達には想像もつきませんね。

この実話が書かれた本を、読んで見たいという方はこちらをどうぞ。

できることならもう2度と、こんな事が起きない世界になって欲しいと願います。

 

まとめ

映画『ラーゲリより愛を込めて』のあらすじと、原作の実話モデルをネタバレ解説してきました。

実話がモデルになってるので、映画を観た後はいろいろと考えさせられそうですね。

私も今回『ラーゲリより愛を込めて』のあらすじや、原作ネタバレを書いてて胸がいっぱいになりました。

モデルとなった日本人達の想いを、映画館でたっぷりと感じ取りたいと思います。

>>映画ラーゲリより愛を込めてのキャスト紹介はこちら

コメント欄

タイトルとURLをコピーしました