没後50年を超えた今でも、多くのファンを魅了しているブルースリー。
「名前は知っているけど、何がすごい人だったの?」と、疑問に思ってる人も多いのでは?
またブルースリーには、武術ジークンドーの弟子がいたという噂もあるとか?
そこで武術ジークンドーを学んだ弟子や、一体何がすごいのか深掘りしてみました。
ブルースリーは何がすごい人だったか知ってる?
1970年代に鮮烈なインパクトを与えた、アクションムービースター『ブルース・リー』。
50代以上の方だと、映画ドラゴンシリーズで観たことがあるのではないでしょうか。
しかし若い人達の中には、「名前は知っているけど何がすごいの?」との疑問が?
もしかしたら、映画スターだったことさえ知らない人もいるんではないでしょうか。
そこで私なりに、何が凄いのかブルースリーについて改めて調べてみました。
ブルースリーは根っからの負けず嫌いが凄い!
幼少期に父親から、太極拳を教わったことがある負けず嫌いのブルースリー。
ある日小柄なクラスメイトにケンカを売り、逆にメッタ打ちにされたとか…。
実は後になって判明したのですが、その相手は中国空手を習っていたそうです。
人に負けることが大嫌いなブルースリーは、直ちに武道を学ぶことにしました。
ブルースリーは葉問(イップ・マン)の弟子だった!
強くなりたいブルースリーは、様々な中国武術を転々と学びテクニックをつまみ食い。
その中でも長く続いたのが、13歳で入門した『詠春拳(えいしゅんけん)』でした。
詠春拳の師匠は、映画にもなった『イップマン』こと『葉問(ようもん)』です。
葉問は争いごとは避け、他人を虐げることに使う事は負けという理念の持ち主。
”カンフーは、喧嘩のためのものではない”、という教えだったそうです。
ちなみに葉問は日中戦争の影響もあり、詠春拳は”日本人には教えるな”と言ってました。
武道には技術だけじゃなく、精神も大切だとブルースリーが悟り始めたきっかけになった詠春拳。
しかしケンカに明け暮れるブルースリー、3年で破門となりました。
ちなみにその後は、兄弟子から2年間教わってたそうですよ。
ブルースリーは独自の格闘術を創始したのが凄い!
葉問から破門を言い渡されるほど、ケンカ三昧だったブルースリー。
香港に居ればいずれ、命に関わることになると心配した父親は渡米させることに。
単身渡米した後、バイトをしながら高校へ通いワシントン大学哲学科へ進学。
無事に進学してから、また武道の研究も始めたそうです。
そして哲学を学びながら、中国武術をクラスメイトに指導するバイトを開始。
この頃に『截拳道(ジークンドー)』が創始したという訳です。
ではブルースリーはどうやって、自身の武術を極めていったのでしょう?
ブルースリーは武術をどうやって極めたの?
1966年に名称『截拳道(ジークンドー)』を創始した、マーシャルアーティストのブルースリー。
そもそもジークンドーは、分かりやすく言えば実戦的な武術となります。
ケンカに明け暮れてた、負けず嫌いのブルースリーらしいですよね。
ではどの様にして、ジークンドーを確立していったのでしょう。
ジークンドーは武道とブルースリーの哲学の融合?
大学へ進学してから、図書館で様々な武術の本を読み漁ったブルースリー。
合気道・空手・ボクシング・柔道・剣道・レスリング等、多岐にわたる武道です。
それぞれの良い所を吸収し、そして独自の哲学論と融合させていきました。
敵の攻撃から身を守りつつ、攻撃に出るテクニックと精神論。
決まった型は持たず、自由で臨機応変に闘うというフリースタイルです。
また生前に水や柳の木に例えて、しなやかさや柔軟さが大切と語ってました。
つまり相手がどんな闘い方でも、瞬時に柔軟な対応をとることで勝つという武術。
相手の攻撃をたち、敵を倒すのが『截拳道(ジークンドー)』なんです。
負けることが嫌いなブルースリーの、柔らかな哲学論の融合がポイントといえるでしょう。
ブルースリーには著名人の弟子もいた!
大学のクラスメイトに、バイトで中国武術を教え始めたブルースリー。
習っていた人達は、白人や日本人にラテン系と人種も様々でした。
きっとブルースリー自身が当時、アジア人ということで差別を受けたことも関係しているのかもしれませんね。
そんなブルースリーの評判を聞きつけた中には、著名人達もいました。
俳優の『スティーブマックイーン』や『ジェームズコバーン』、シナリオライターの『スターリングシリファント』。
『カリーム・アブドゥル・ジャバー』『ジョー・ルイス』に、スポーツ選手や格闘家もいました。
個人レッスン料はスティーブマックイーンで、1時間で8万円相当だったとか。
道場で多くの生徒に教えるよりも、著名人に個人レッスンする方が儲かったようですね。
ちなみにスティーブマックイーンや、ジェームズコバーンの映画を観ればレッスン効果は一目瞭然と言えます。
37歳という若さで亡くなったブルースリー、シアトルでの葬儀には著名な弟子達も参列されました。
体系(システム)やスタイルを持たない武術、ジークンドーは永遠に語り継がれることでしょう。
まとめ
ブルースリーの何がすごいのか、武術ジークンドーの弟子について調査してきました。
”何がすごい”かの根幹には負けず嫌いがあり、武術や哲学を学び吸収していくたくましさ!
そんな精神からジークンドーが誕生し、著名な弟子達も増えていったと言えるでしょう。
ブルースリーの生き様を深掘りすると、圧倒的な魅力と尊敬の気持ちが高まりました。
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