32歳という若さで亡くなった、アジア人初のハリウッドアクションスターのブルースリー。
残された映画のストーリーやアクションは、未だに多くのファンを魅了し影響を与えています。
しかしブルースリー作品が作られた年と、日本で公開された順番に違いがあるとか?
そこで制作年と日本公開日の順番や、映画のストーリーやおすすめポイントを一覧でご紹介。
私のおすすめ一覧を見て、ブルースリーに興味を持って頂けると嬉しいです。
ブルースリーの主演映画の公開された順番は?
ブルースリーが初めて映画に出たのは、役者だった父親と一緒に端役での出演。
1946年にサンフランシスコで作られた、広東映画『金門女』に6歳でデビューしました。
その後は香港に家族で帰国し、父親の後押しもあって映画『細佬祥』に子役として初の主演。
ブルースリーは子供の頃から、役者として活躍されてたんです。
そして18歳の時に1人で渡米後、大学へ通いながら『截拳道(せつけんどう)』を創造。
創始者のブルースリーは、世界空手トーナメントで『截拳道』の模範演武をしました。
この時の演武が映画会社の目に止まり、20世紀フォックスでアクション指導を経験。
後に『グリーン・ホーネット』で、日本人”カトウ”役でレギュラー出演することになったとか。
それからブルースリーは、もっと大きなスクリーンでアクションがしたいと思い映画制作へ乗り出しました。
ブルースリーが主演した映画の一覧!
ある日アメリカで小柄な中国人が、体の大きな白人に虐められている現場に遭遇したブルースリー。
ケンカを止めるために間に入り、大男を倒してしまったことでスカッとしたとか。
「これを映画でやれば観ている人もスカッとするのでは?」と、思ったそうです。
そして”ドラゴン”シリーズが誕生し、観ている人がスカッとする映画ができあがりました。
こちらが主演した映画の制作年と、日本での公開日の一覧となります。
- ドラゴン危機一髪 1971年(1974年4月13日公開)
- ドラゴン怒りの鉄拳 1971年(1974年7月20日公開)
- ドラゴンへの道 1972年(1975年1月25日公開)
- 燃えよドラゴン 1973年(1973年12月22日公開)
ちなみに1972年に幼馴染の主演作『麒麟掌』に、武術指導とスナップショットの挿入で関わっています。
しかし映画があまりにも低評価だったので、日本では公開されなかったとか。
ブルースリーは1973年7月20日に亡くなりましたが、死後も主演映画が公開されていました。
ブルースリーの死後に公開された映画一覧!
映画の制作途中だったブルースリー、32歳という若さで亡くなりました。
しかし撮影済みだった映像や、過去の作品映像を用いたブルースリー主演の映画が完成。
こちらが亡くなった後の、公開された映画の一覧になります。
- 李小龍的生興死 1973年(1997年9月27日公開 ※邦題ブルースリーの生と死)
- ありし日のブルースリー 1973年(1974年11月2日公開)
- 死亡遊戯 1978年(1978年4月15日公開)
- 死亡の塔 1981年(1981年6月20日公開)
自身が監督・主演の『死亡遊戯』は、クライマックスだけ生前に撮影済みでした。
しかし映画がヒットしたのは、日本だけだったと言われています。
では生前に主演を務めた映画の、簡単なストーリーと私のおすすめポイントもご紹介。
ブルースリー主演映画のストーリーやおすすめポイントは?
私には5歳離れた兄がおり、子供の頃から兄の影響でブルースリーが大好きになりました。
兄はブルースリーが亡くなってからも存在した、ファンクラブにも入っていたようです。
そんな環境だったこともあり、ブルースリーの映画は子供の頃から何度も観てきました。
そこで簡単なストーリーと、私のおすすめポイントを一緒にご紹介したいと思います!
映画『ドラゴン危機一髪』ストーリーとおすすめポイント!
村で1番ケンカの強い青年は、2度と暴力は振るわないと母に貰ったペンダントに誓います。
その後青年はタイにある製氷工場に就職、しかし仲間が次々と消えていくことに不審を抱く。
実は工場を経営する町の有力者であるボスが、氷の中に麻薬を隠し密輸している事実を発見!
ボスの一味に誓いのペンダントを引きちぎられ、怒りを爆発させた青年は死闘を繰り広げていく…。
ブルースリーが創設した截拳道が、大きなスクリーンで初めて披露された記念する作品。
私のおすすめポイントは哀しみの表情と、怒りを爆発させた青年のラストシーン。
子供の頃に映画を観た後、悲しくて涙したことを今でも覚えています。
映画『ドラゴン怒りの鉄拳』ストーリーとおすすめポイント!
明治末期の上海で、精武武道館の館長が謎の死を遂げてしまう。
弟子の1人だった青年は葬儀の席で、我が物顔に振る舞う日本人の仕業じゃないかと睨む。
そこへ鈴木というリーダーが引き連れた、日本人武道家が押しかけ中国武道を侮辱。
青年は恩師が日本人に毒殺された証拠を掴み、1人で日本道場へ殴り込みにいく。
だが日本人が警察署長に圧力をかけた為、青年は1度姿を消すが折を見て潜入することに成功。
そして全ての敵を倒し、日本人憲兵と警察が銃口を向ける先に飛び込んでいく。
この映画でブルースリーは、生涯で唯一のラブシーンを演じています。
また代名詞とも言えるヌンチャクや、高く飛び上がった足蹴りも注目ポイント。
ラストシーンの姿は、インパクト絶大といえるでしょう。
映画『ドラゴンへの道』ストーリーとおすすめポイント!
青年は中華料理店を経営する若い娘が、白人や黒人の暴力団から脅かされているため助太刀で香港からローマ空港へ。
凄まじい助っ人に驚いた暴力団は、アメリカから2人の空手チャンピオンを呼び寄せた。
罠を仕掛けられおびき出された青年だが、まずは1人のチャンピオンを片付ける。
そして残る1人とローマの名所、コロシアムで死を賭けた一騎打ちを繰り広げるのだった。
ローマのコロシアムでの死闘シーンは、アクション映画界にとっても貴重な記録。
そしてダブルヌンチャクや、コロシアムで準備運動時に見せる猫のポーズが美しいです。
映画『燃えよドラゴン』ストーリーとおすすめポイント!
少林寺武道を学んだ青年が香港へ戻ると、近くの島で武道トーナメントが開かれることを聞く。
そこでは少林寺の先輩が島を支配し、麻薬の密造・密売をする本拠地にしているという。
しかも、そこの手下どもが、青年の妹を自殺に追い込んだ事実も知る。
青年は憎い敵もいる武道トーナメントに参加し、妹の仇をとることに成功。
さらに麻薬工場の地下施設も見つけ、働かされる囚人達を解放し島の支配者と鏡張りの部屋で対決し息の根を止める。
日本初のカンフー映画『燃えよドラゴン』、この作品のヒットをきっかけに他の映画も公開されました。
クライマックスの対決シーンで、ブルースリーが胸の傷の血を舐めるシーンが有名。
また地下施設での戦闘シーンに、エキストラだったジャッキーチェンが出演しています。
どの作品も周囲の人を思う気持ちや哀しみ、そしてスカッとするアクションが最高ですよ。
まとめ
ブルースリーの映画の順番や、ストーリーやおすすめポイントを一覧でご紹介してきました。
香港で映画が制作された年と、日本で公開された作品の順番が違いましたね。
日本では”燃えよドラゴン”をきっかけに、ドラゴンシリーズが次々に公開されたようです。
またブルースリー旋風が巻き起こったのは、おすすめ一覧で紹介したストーリーにもあったといえるでしょう。
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